子宮・卵巣がんのサポートグループ あいあいのページ

これまでに「グループあいあい&りんりん」の運営に参加していましたが、現在は卒業されている方々です。
なお、プロフィールの内容は各個人の体験談です。当会として、特定の治療法や代替療法などを推奨しているわけではありません。

masako
はじめまして! 神奈川県出身のmasakoです。
平成10年9月に卵巣ガンが見つかり、腫瘍と腹水が腎臓を圧迫してしまった為、緊急手術を受け、その後化学療法・手術・化学療法・手術・化学療法と行い現在は2ヶ月に1回のペースで経過観察の為通院しています。

31歳で発病、32歳で再発し、再々発の不安やこれから長く病気と付き合っていくことを考えると楽しい事ばかりではありませんが、病気はひと休みするいい機会ではあったと思います。

「グループあいあい&りんりん」の活動で私は多くの事を知ることができ、よい刺激を受けています。 皆さんとも「グループあいあい&りんりん」を通していろいろな事を吸収し苦楽を共にできたらいいなと思っております。 未熟者ではありますが、運営メンバーの一員としてお手伝いさせていただきたいと思っておりますのでよろしくお願いたします。

*2001年10月19日他界、あいあい天国支部で活動されています。

智子
こんにちは。東京都在住38歳、会社員の智子です。
 平成10年10月に子宮けい癌が見つかりました。 そのときの主治医の「こんなに大きいんだから手術しないとだめ。離婚してもう年なんだから子供はいいでしょう」 という心無い告知にとても傷つきました。  この病院では治療したくないと思い、友人の勤める病院を紹介されました。
その病院の医師はとても丁寧に説明し私の不安を取り除いてくれ、この人だったら信頼できると思い、2ヵ月後手術をし、幸い職場にも復帰することができました。  順調に回復していきましたが、これから先のことを考えると孤独で不安でたまらないと思っていた去年の4月に「婦人科がんのサポートグループ」の立ち上げを知りました。 仲間がいるということは私の心の支えになりました。 病気になったことは変えられないけれどいろんな人と出会えたことは、私の一生の財産です。
 昨年の6月に左下肢リンパ浮腫になり1ヶ月弱入院しましたが、「グループあいあい&りんりん」のメンバーに支えられていたので乗り越えられたのだと思います。 これからも運営メンバーとして皆様と一緒に頑張りたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

2002年2月17日他界、あいあい天国支部で活動されています。

ひまわり
カンカンと照りつける太陽の下で大輪のヒマワリの花が咲いていた平成9年8月、検診のつもりで病院へ行き、「子宮頚癌」と言われました。 時計が止まり、すべての音が消え、自分の心臓の鼓動だけが聞こえました。家族のことが頭に浮かび、「私はまだ死ぬことは許されない」と自覚した一瞬でもありました。 車に飛び乗り、エンジンをかけ、車を走らせました。 涙がとめどなく流れ、途中、林の中へ車を止めて、ラジオのボリュームを大きくして、わんわん泣きました。涙で顔がぐしょぐしょになり、気がつくと、日はとっぷりと暮れていました。

9月に子宮全摘術を行ない、その7日後に腸閉塞を併発。その後2ヶ月間放射線治療を行ないました。翌年春に仕事へ復帰しましたが、平成12年に2度めのリンパ浮腫による蜂窩織炎を併発して、 会社員でしたが仕事を断念しました。ひとりでガンバっていましたが、体や家族のトラブルに直面、限界を感じました。

"ガン"は試練ですが、もう一度、自分を見直し、これからの生き方を考えるチャンスでもあります。同じような悩みや不安を持つ皆さん、家族や医療関係者と語り合い、勉強し、励まし合っていけば、 心強いことは言うまでもありません。 " 笑う門には福来る"と昔から言いますが、今日もたくさん笑って"ガン"と戦っている40代後半の私です。現在は主婦。夫、子ども4人、犬、猫の大家族です。

趣味は油絵で、公募展に向かって100号を製作中。放射線医学総合研究所の外来ロビーにも「ふるさとの渓流」と「あじさい」の2点を展示しています。「皆さんが元気になる、やすらぎのある画」をモットーに製作しています。旅をしながら四季折々の風景を描くのも楽しみの一つです。温泉に入って、お酒を飲みながら、語ったり、歌ったりもいいものです。

"ガン"のおかげで(?)多くの人と出会えて、自分の体についても、また新たな分野についても 勉強することができ、ちょっとワクワクドキドキ、年を忘れている今日この頃です。よろしくお願いいたします。

空@おり鶴
【病歴】
平成元年9月、子宮体癌で準広汎子宮摘出術施行(卵巣片方温存)。平成3年3月、残した卵巣が癌化し摘出術施行。その後化学療法(MFC)10クール予定で開始するも肝機能の悪化のため4クールで中断、 放射線療法に切り替える。(外照射50Gy、腔内照射30Gy合計80Gy)。平成3年9月、放射線障害による腸閉塞のため、2ケ月間経口摂取を断ち、 中心静脈栄養のみで緩解を期待したが予想に反して悪化したため、手術。平成4年2月、大腸がんが見つかり 内視鏡的摘出術施行。その後は放射線治療による晩期後遺症に見舞われながらも元気で、 現在に至っている。

【職業】 看護職

【ひとこと】

二人に一人は癌になる時代、癌は他人事ではなく自分事です。
私たちがん体験者は、心身の苦痛の中で死を考えざるを得ない貴重な体験をしている という意味では、まだ病気体験を持たない人の「人生の先輩」だと思います。
この苦悩の体験を、これから癌になる人たちの役に立てることができれば、 辛い体験をした意味もあるというものです。
私たちが「がん体験者」として生きていく個々の生き様や生きる姿勢は、 これから癌になっていく多くの人たちの「羅針盤」となります。
私が多くのがん体験者の先輩に助けられ導かれてここまで来たように、 「生・老・病・死」を自分事としてしっかり見つめながら生きていくがん体験者の姿は、 身近な人やまわりで支えてくれている人達の「道標」の一つになるのです。
誰もこの痛みや苦悩や死を代わってはくれません。
それでも逃げ出さずに、そのことをしっかりと肝に銘じ、すべて「自分事」として 受け止めたいと思います。
そして、死ぬ時には自分の人生を納得して死ねるような、そんな生き方をしたいものだと 常々考えています。
言うは易く行うは難しではありますが、どうせ生きるなら死ぬまで顔を上げて しっかりと前を向きつつ、生きることを楽しみたいと思っています。
 余談ですが、千葉方面で、がん全般にわたる当事者や、支援する仲間とともに、 【支えあう会「α」】というセルフヘルプグループの活動も行っています。
特定部位のがんに囚われず、体験者・支援者の別に囚われず、 「生・老・病・死」を「いつかは自分事」と捉え、「がん」を通して、生きること・死ぬこと、 支えあうことなどを考えていく活動です。
今後は、サポートグループどうしのネットワークや協力体制を構築していく方向で 考えていきたいと思います。共に生きる仲間として、よろしくお願いいたします。

*あいあいの活動から卒業後は、「支えあう会α」を中心に活動されています。

ミッキーママ

昭和 33年、静岡生まれの専業主婦ミッキーママと申します。24歳で結婚して子供には恵まれなかったものの、特別に子供には執着は無く 夫婦ふたり、建築関係の仕事をして、当時はやりのディンクスを楽しんで いました。40歳を迎えた頃、不況により仕事もだんだん少なくなり、 ちょっとのんびりしてみようかななんて思い専業主婦生活に入りました。
その頃から、気のゆるみか体調が悪くなリ初め、極度の貧血状態。当初の婦人科の診察では、筋腫ということだったのですが、 スプレキュアを使っても出血は止まらず、検査を進めていったところ、 体部の細胞に異常が見つかりました。

そこからはもうベルトコンベアーに乗せられた不良品のように、 大学病院という工場で体の修理をはじめました。
手術は広汎子宮全摘術、術後なかなかリンパ液の量が減らず、 そのまま16日間寝たきりになり、左足がゾウのように腫れてきて、 脚は重く引きずるようにして歩き、曲げる事もままならず辛かったです。排尿訓練も、16日間の寝たきりがたたったのか、時間が随分かかりました。
幸いリンパ、遠隔転移も無くホッとしたのですが、医師より化学療法の追加治療を薦められ、 3回にわたり医師から説明を受け、納得して3クール終了して、 晴れて出所(4ヶ月の入院生活ですっかり病院が刑務所のように思えてきてしまったのです)。

現在は、2ヶ月に一度の診察で病状も落ち着いてあの悪夢からも開放されようとしています (左足にリンパ浮腫が少しありますが)。退院後、自宅でひとりぼっちでいるといろいろと不安がひろがり、 相談しようにも誰がわかってくれるの?という気持で、悶々としていたところ、 新聞記事で「婦人科がんのサポートグループ立ち上げ」を読み、 早速連絡をとりました。
新しい仲間との出会いもあり、まんざら病気も悪くなかったのでは……なんて最近余裕もでてきたような気がします。
病気の事はやっぱり経験者でないと理解し合えない事もあります。「グループあいあい&りんりん」の存在に本当に感謝しています。

Kyoko
昭和333年生まれ、現在武蔵野市に住んでいるkyokoです。

平成11年12月に、卵巣ガンの手術をしました。
ずっと卵巣嚢腫だといわれ、切ってみないとガンかどうかわからないという状態で 手術を受けました。
楽天的な性格のせいか、術後ガンが見つかったと言われるまで、自分がガンだとは 思ってもみませんでした。

その後も回復が早く、3ヶ月に一度病院に行くだけで、 自分ががん患者であったということを忘れないためにも、この会の存在はとても大きなものです。

一人でも多くの人が、この会を通して元気になれたらいいなと思っています。

ポキ君

はじめまして!子宮頸部腺癌のポキ君です。
私は、 2000年8月に準広汎性子宮全摘出術を受けました。健康オタクで、体力には自信あるつもりでしたから、告知された時は青天の霹靂でしたし、クリーンライフを励行してきた私にとって、「がん告知」はあまりに衝撃的でした。(-o-;)
1年2ヶ月後に断端部再発。最初の告知時よりショックは大きいものでした。再発癌は完治しない。当初はこの「完治しない」という文字が頭から離れませんでした。放射線治療(外照射プラス腔内照射)と化学療法(MEP)を施行。 白血球が著しく低下したため、4週に一度の投与計画がずれ込んで、10ヶ月の長期入院になってしまいました。2001年10月に入院して、シャバに出たのは2002年8月下旬でした。長かったですぅ〜!(^_^;)
しかし、今思えば、この10ヶ月間で得たモノは大きかったように思います。かけがえのない”がんフレ”達との出会い……そして別れ……。 同病相励まし合ってきた”がんフレ”達の死によって、さらに自分が今、生かされている事を実感します。
2004年8月、またしても断端部再発。血管内治療を選択しました。化学療法の副作用である脱毛は、私にとって精神的ダメージが大きい要素の一つでしたので、脱毛しないこの治療は有り難かったです。
しかも、化学療法によるその他の副作用(吐き気・肝機能障害・腎機能障害・骨髄抑制等)を殆ど受けることなく、癌細胞が休眠状態に導かれ、現在に至っています(2006.9月現在)。
現在は、卵巣欠落による更年期障害、骨粗鬆症、化学療法の後遺症による手足のしびれ等、小さなトラブルは多々あるものの、免疫療法(丸山ワクチン)、食餌療法、サプリメント等、自分なりに工夫して何とか小康状態を保っています。
「あいあい」には2003年8月から参加させてもらっています。皆さんのお話を聴いて、勉強になりますし、励みにもなります。この会を通して、悩んでいる人が一人でも減る事を切望します。

まっちゃん
みなさま こんにちは。まっちゃんです。
山形出身、都内在住の41歳です。

私が癌の告知を受けたのは、今から6年前、35歳の時でした。 子宮頸癌の腺癌です。広汎子宮全摘術とリンパ節郭清を行っています。 術後から排尿障害とリンパ浮腫があり、尿意を感じるようになるまでに1年を要しました。 それでも私は、自律神経温存術を行っていたのでまだ良い方だったのかもしれません。 入院3ヶ月、自宅療養2ヶ月の後、職場に復帰しています。 リンパ浮腫との付き合いは6年以上になります。

現在は夫婦2人暮らしですが、私たちはずっと子供を望んでおり、 通院もしながら子供が授かることを心待ちにしていました。 そんなときに癌の告知を受けたのです。 癌であるということより、子供が産めないという事実の方が私にとっては どれ程辛かったか……。

主人の両親も子供ができるのを、ずっと楽しみにしていました。 結婚して7年間、せかさず、優しく見守っていてくれました。 いったいこの事実をどう伝えたらいいのか……。 「お話があります」と実家に行ったとき、「良い話」と勘違いした両親は 満面の笑みで私たちを出迎えてくれました。 事の真相を話すうちに、お義父さんは 「楽しいときばかりが家族じゃない。苦しいときこそ助け合うのが本当の家族だ!」 と涙ながらに励ましてくれました。 長男の嫁である私にとって、お義父さんのその言葉にどれ程救われたことか。

時間はかかりましたが、今は「人生楽しく生きなくっちゃ!」とすっかり吹っ切れています。 夫婦2人で、温泉やスキー、食事やドライブ、海外旅行にお買い物。
とにかく好きなことを楽しんでいます。

私はリンパ浮腫がきっかけで「グループあいあい&りんりん」に参加するようになりました。 同じ経験や苦しみをわかちあえる仲間がいるということは、とても励みになりますし、 勉強にもなります。 みなさんも一人で悩まずに、私たちといっしょにおしゃべりしませんか? きっと何か見つかると思います。私たちは一人じゃないんです。
み−んな仲間なんです。いっしょに歩んでいきませんか!! 「元気に・明るく・前向きに!! み〜んな仲間だ エイ・エイ・オー!」

めい
はじめまして、めいといいます。
埼玉県在住。やっとこ厄年を脱出しました。

2000年3月に子宮頚癌の患者としてデビューし広汎子宮全摘術後に放射線治療を行い3ヶ月の入院生活を終えました。 その後9月には放射線腸炎による腸閉塞で手術をし、またもや3ヶ月の入院生活をしました。 と言うことで私のミレニアムは人生最大の大きな試練の年でした。

自分に与えられた時間が永遠でないことが目の前にどっと押し寄せてきて押し潰されそうになった時もたくさんあります。 それに加えて子供を産むという選択が自分の人生から消去されてしまった事……。 毎日涙なくしては生活できないなんて日々は卒業しましたがまだまだどっとはまってしまう時もあります。

今この瞬間にも同じ思いをしている方が居ると思います。 でも病気になった事が悪い事ばかりではなく有限でない自分の人生を考え直すきっかけをもらったと思えるように 変えて生きませんか? 難しいことかもしれません、簡単なことかもしれません。 とりあえず一歩外に出ることから始めると、案外すっきりするかもしれません。 新たな出会いを楽しみにしています。

かよぴー
みなさんこんにちは!
1966年4月2日生まれ。夫と子供2人の4人家族です。 2人目の妊娠の時、妊婦検診で子宮頸癌がみつかりました。

最初にかかった病院では、出産後1か月に子宮全摘手術と言われました。 しかし臨月にはいったところで、主人の転勤が決まり、主人だけ東京に行ってもらい、親子3人で大阪で生活してました。 無事女の子を出産し、1か月後東京へ……。 体のことは、気になりながらも引越しでばたばたとしており、気がついたら、もう2か月経過しており家の近くの総合病院を受診。 この病院では、子宮は温存して頸部の一部を切り取る「円錐切除手術で大丈夫でしょう」という判断でした。「子宮を残せる」という安心感と「円錐切除で癌細胞全部とれるのかしら?」という不安とミックスした複雑な心境でした。しかし信頼できそうな先生だったので、この病院で2000年3月に手術をうけました。

私はうつ病患者でもあります。1年前はいまこうして生きていることが不思議なくらい、症状がおもくつらい日々でした。 病気はかからないにこしたことはありませんが、病気になったことによって、得るものもあるんだなあ。とひしひしと感じています。 そのひとつが、「あいあい」との出会いでもあります。 みなさんそれぞれ、色々な悩みをかかえていると思います。 でも、その悩みを他の人と共有できた時 ふと……気持ちが楽になるかもしれませんよ。

ラム
ラムと申します。
1998年春、近所の婦人科にて子宮内膜症による卵巣チョコレート嚢腫と診断されました。 その後2年間、手術に慎重だった医師の薦めに従い子宮内膜症の偽閉経療法を2回行いましたが、 効果なく最終的に手術を決断。 2000年秋、紹介された大学病院で腹腔鏡手術を受けたところ、悪性だったことが判明。 それから2001年前半まで治療(化学療法と手術)に明け暮れましたが、  9月からなんとか社会復帰することができました。
「良性」「典型的なチョコレート嚢腫」と画像診断で思い込んでいた医師。  同じ治療を続けることに疑問をもちつつも医師のすすめに従ってしまった自分。
 告知直後は、貴重な2年間を無駄に費やしてしまったことが悔しく、やりきれない思いでいっぱいになりました。  

あいあいとの出会いは2000年11月。
偶然ホームページを見つけ、治療の合間を縫って何度か催しに参加し、 婦人科がんや医療に関する様々なことを知ることができました。 そして2001年9月の社会復帰と同時にあいあいの運営スタッフに参加させていただくこととなりました。
 病気になってつらく大変な思いもしましたが、自分の人生を考えたり、ゆっくり休むよい機会になりました。
これまで気づかなかった大切なことに気づき、素晴らしい出会いに恵まれ、 今は「人生捨てたものじゃない」と思っています。

うっちー

こんにちは、1968年生まれのうっちーです。
山口県出身、今は東京に夫婦ふたりで住んでいます。
2001年5月、子宮頸がんの腺がんと診断され、同年6月、円錐切除術の後、広汎子宮全摘出術をうけました。当時結婚3年目、子供を授かりたい、産みたいという気持ちが日に日に強くなっていった頃の告知、手術でした。

自分が子供を産む可能性がゼロになったことへのショック、術後の後遺症への不安、そして命には限りがあるということを「自分のこと」として実感したこと...いろんなことが一気に体に、そして頭の中に押し寄せてきました。心の中では、不安、悩み、迷い、喜び、感謝など、いろんな気持ちが行ったり来たり、また戻ったり...と落ち着かない日々が続きました。
そんな時、以前(自分がまさか「がん」と診断されるとは想像もしていなかった頃)雑誌で紹介されていた「あいあい」のことが頭に浮かびました。退院後はすぐに講演会・合宿などに参加しはじめ、そしてその場が新しい仲間と出会うチャンスとなりました。
体調のこと、後遺症のこと、日常生活のこと、ふとした時に思い浮かぶようなことも、同じような体験をした人とおしゃべりすると心が軽くなったり、また勉強にもなります。何よりこの出会いが私の励みになっています。

たまごちゃん
1960年生まれ,AB型、保育士、自慢出来るのは健康と明るい性格、こんな私に突然がんの宣告……!
2005年職場の婦人科検診で要精密検査になりすぐ大学病院へ、子宮頚部腺癌悪性腺腫と診断され5月に広汎子宮全滴術を受けました。 
娘二人の受験や卒業入学をバタバタと終わらせ(ごめんなさい……)入院、手術、どうなる事かと思いましたが、6人部屋のがん友に恵まれ、1ヶ月間の入院生活も無事終えることが出来ました。
卵巣欠乏症、便秘、などの症状は多々ありますが現在は元気に(水中療法などしています!)仕事復帰もしています。
保育士の仕事はハードなので復帰はかなり迷ったのですが、子どもたちに元気をもらっている毎日です。
今年は6月にハワイ、8月にはタイ旅行にも思い切って行って来ました。本当にめまぐるしい1年4ヶ月でしたがこれからも身体をいたわりながら楽しく過ごして行けたらと思っています。

オッチー
こんにちは。オッチーです。
私は 2003 年 8 月に子宮頚がんの告知をうけて、術前化学療法、10月に広汎子宮全摘術、(両卵巣摘出、リンパ節郭清)を受けました。術後、排尿、排便障害、更年期障害、リンパ浮腫など後遺症がありますが、自分の体と相談しながら毎日を過ごしています。
不正出血があり、子宮がんの検査を受けてだいじょうぶという医師からの言葉を信じて疑いもせず、その1年後に受けた子宮がん検診でがんの告知。
なんでわからなかったのか? 1年前なら手術しないでよかったかも……と、後悔しました。 そして「命」「生きる」ことを改めて考えました。
つらいこともありましたが、たくさんの出会いもありました。何よりも「あいあい」のわかちあいのミ−ティングに参加して、みなさんとお話しすることで自分自身を見つめなおすきっかけになりました。 まだまだ、落ち込む時もあるけれど、できる事をできる時にしよう!!そして、後悔しないためにも日々を大切に生きる!!そう思っています。

ショコラ
こんにちは、1957年生まれのショコラです。
私は、2008年3月に、子宮頸がん 扁平上皮がんTb1期と診断され、手術を受けました。広汎子宮全摘術とリンパ節郭清、6時間の手術でした。
まさか、自分が、がんになるなんて、思いもかけず、ずっと婦人科に足がむきませんでした。そろそろ受診せねばと、区の検診を機会に、近所の婦人科を受診。産婦人科の先生から、話があると電話がかかってきて、心臓が凍りつきました。すぐ、近くの大学病院を受診。組織診の結果がでるまでの2週間は、本当に不安な毎日でした。
結果がでたら、潔くなり、今は医療が進歩しているから、悪いところを取ってしまえば、すぐ元気になると信じ、先生から、次々とスケジュールを決められ、今考えると信じられないのですが、結果がわかってから、2週間ちょっとで、もう手術していました。
手術後こそが、大変なんだという現実は当事者にならないとわからないものですね。後遺症の事なども、自分には関係ないと軽く考えていました。
ところが、手術後数日で、太もも内側に違和感が。一生懸命マッサージをしたり、足をあげて寝たりで、最初は次の日には、なんとか元に戻っていましだが、一週間後には、左足のみ、以前と比べて、なんと10センチも太くなってしまいました。パンパンに腫れあがり、ちょっとさわってもひりひりするし、くるぶしは見えなくなり、サンダルさえもはけない。リンパ浮腫でした。10人に2人位の確率なのに、なんで私が!病院から渡されたリンパ浮腫のリーフレットや、何冊か購入した、リンパ浮腫に関する本を読むと、あれもだめ、これもだめと、だめのオンパレード。もう、趣味のテニスもできない。外食も行けない。映画やお芝居も観に行けない。ましてや海外旅行なんて。
そんなときに、まつばらさんと大島寿美子さんの本『子宮・卵巣がんと告げられたとき』 (岩波書店) を、病院の売店でみつけました。「Ta2、Tb 、Ua 期では手術と放射線療法の治療成績に基本的には差がない」とありました。欧米ではQOLを重視し、5年生存率も変わらないので、放射線治療も標準治療で、主流だということを知りました。
手術する前に、この本を読みたかった。私が読んだ本は全て、手術が標準治療とかかれていました。入院患者さんの中に、リンパ浮腫になりたくないので、放射線治療を自ら選んだとおっしゃる方もいらっしゃいました。
※放射線療法には、卵巣機能が失われて、更年期障害になる可能性があり、若い患者さんにとっては、もし片側でも卵巣が残せるのであれば、手術の方が良い場合もあるそうです。
それぞれの治療法に、メリットとデメリットがあることが、後から段々わかってきました。
私はなんで、もっと調べてよく考えなかったんだろう。なんで、先生にいわれるまま、こんなに早く手術してしまったんだろう。後悔してもしきれません。
本当に落ち込みました。でもなんとかしたくて、入院中、大学病院にあるリハビリ科に通い、バンテージのやり方を習い 病室に帰って、1時間以上かけて、必死でバンテージしたり、マッサージしたりしました。リンパ浮腫専門治療機関、後藤学園マッサージ治療室にも通いました。良いと思うものは色々試し、試行錯誤しながら、今では、足の太さはほとんど元に戻り、左右差1センチ位に戻りました。足の付け根部分は前より細くなりました!早く手当て始めたのが、良かったんだと思います。下腹部の腫れをとるのは、足以上に難しいので、今も 試行錯誤の毎日です。筋肉をつけるのが大事と考え、水泳がよいと聞き、何度か通いましたが続かず、たまたまカーブスという、サーキットトレーニングを試したところ、これなら、私も無理なく続けられています。本人の体にあわせた筋トレ、有酸素運動、ストレッチで、一回30分程度です。自分にあったものを見つけることが大事ですね。
リンパ浮腫になったら一生治らないといわれ、がんの宣告以上にショックでした。今も 毎日弾性ストッッキングをはかなければならず、特に夏の蒸し暑い日などは辛いです。でも、外食は勿論、映画やお芝居、温泉にも出かけます。海外旅行も行けました。同じ悩みを抱えている方へ。完全に治らなくても、より良い状態にもっていくことはできます。一緒に、ケアの方法など、情報交換しながら、よりよい QOL を目指しましょう。
私は術後、排尿障害でも苦労しました。尿が自力ではほとんどでなくなってしまったのです。今まで当たり前で、無意識に行っていたことができなくなる。本当に病気にならないと、この辛さはわからないですね。入院中、3時間おきの、導尿。ぐっすり眠ることもできませんでした。自己導尿も必死で練習しました。いやだなんていっていられません。
退院後は、1日一回の自己導尿で、だんだん状態が改善し、何ヶ月後だったでしょうか。自己導尿しなくてもよくなりました。今でも、完全に元に戻ったわけではありませんが、これも色々工夫して、排尿を促すようにしています。
「あいあい」のわかちあいは、退院後間もなくお邪魔しました。退院してしまうと、同病の方がそばにいないので、悩みを相談しあうことができなくなりました。周りの人達からは、退院したらもう治ったように思われ、心細かった時、同じ辛さ、悩みを抱えた方々とふれあい、話を聞いてもらったり、聞いたり、情報交換したりと、とても心強かったです。「辛いのは私だけじゃない。こんなに沢山仲間がいるんだ」と実感できました。
「失ったものは、大切ではなく、今あるものが、大切」退院後みつけた言葉です。身にしみました。本当にそうですよね!!

かおりん
1962年生まれの、かおりんです。
わたしは、2008年11月始めに、初めて受けた子宮がん検診で子宮頸がんが見つかり、Tb1期の偏平上皮癌と告知されました。
当初は、クリニックで紹介された大学病院で、月末に手術を受ける予定でした。  というのも、初めて診察を受けた時に、手術の日程が混み合っているので手術の予約を先に入れた方が良い、と言われたからなのです。その後さまざまな検査を受け、手術の詳しい説明を受けたのは、手術予定日の13日前でした。
わたしは、手術が予想していたものよりもはるかに大きな手術(広汎子宮全摘術)であることや、術後の後遺症が、排尿障害など高い確率で起こるということを知り、事の重大さに愕然としたのです。その日はショックで、ずっと泣いていました。
翌日、そんなわたしを見かねてか、夫が本を数冊買ってきました。
その中に『がん! 放射線治療のススメ』(中川恵一著、三省堂)という本があったのです。
そこには、放射線治療でも手術と同じ治療効果が得られ、排尿障害やリンパ浮腫などの後遺症の発症率は手術よりもかなり低いと書いてありました。 しかも、欧米では放射線治療の方が主流だとも書かれてあったのです。
わたしは混乱しました。  手術の説明を受けたとき、先生は、ガイドラインというのがあって、手術が第一選択になっているとおっしゃったのです。  それは、手術が一番治療効果があるということではなかったのか?
わたしは半ばパニック状態で、それでも藁をも掴む思いで、本に載っていた「子宮・卵巣がんのサポートグループ あいあい」に電話をかけ、相談にのって頂いたのでした。
結局わたしは、別の大学病院で化学放射線療法を受けました。
少しでも治療効果を上げたいと、抗がん剤治療も並行して行うことにしたのです。 その病院で使っている抗がん剤は、あまり脱毛しないタイプの薬だったため、髪の毛が抜けるという精神的なダメージは受けずにすみましたが、吐き気や下痢などの副作用はありました。 それでも、すべての治療を通院で済ませられたのは、とても精神的に良かったと思います。
2ヶ月あまりで治療は終り、わたしのがんは消えました。

治療後、ホットフラッシュ(更年期障害)と、手足の痺れや強張り(抗がん剤の副作用)などがありました。 ホットフラッシュは漢方薬とホルモン療法で楽になり、手足の痺れは、養命酒と運動(水中療法)で良くなりました。今は、治療後も続いていた下痢も治まり、水泳やジャズダンスのレッスンを楽しんでいます。
そして、大変お世話になった「あいあい」で、運営のお手伝いさせて頂いています。  
わたしは「あいあい」を通じて、たくさんの方々と知り合うことができました。 わかちあいのミーティングでは、同じ思いをした方々の貴重なお話をうかがい、いつも勇気をもらっています。
もし一人で悩んでいる方や、人に話せず孤独感を感じておられる方がいらっしゃいましたら、わかちあいのミーティングに参加してみませんか?  心が軽くなるかもしれません。
みなさまのお越しをお待ち申し上げております。
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